ヒカルの住むマンションの前でタクシーを降り、部屋を見上げる。 すっかり明かりの落ちてしまった部屋。 もう寝てしまっているのだろうか? このところ手合やイベント、指導碁が詰まっていて忙しいのも疲れているのもわからないでもない。 それはアキラも同じ状況だったから。 でも――――今ひとつ納得できない。 確かにもう日付は変わってしまったけど『行く』とメールを送ったのに寝てしまっているなんてどういうことだ??明かりまでおとしてしまって! まさかメールすら見ていないなんてことないだろうな。 確か今日は対局があったはずでそういう日は夜遅くまでその日の対局の検討を一人でしていたりするのが常なはずなのだが、それをする気力すらないほどだったのだろうか? それとも進藤は僕が思うほどに僕に会いたいとは思っていなかった? そんな、まさか……でも、いつも会いたいって電話してくるのは進藤のほうだったけど……今回は間がだいぶ空いているのに電話一つなかった。 微妙な不安を感じながらアキラはマンションの中に足を踏み入れた。 ヒカルの住むマンションは管理人もいなくオートロックもない。 誰でも気にせずは入れる。よくいえば開放的な悪くいえば危機感のないそんなマンションで、アキラは常々もう少し管理のしっかりしたところに住めばいいのにの思っていた。 最近ではヒカルもアキラ同様に露出度が上がり、見ず知らずの相手が棋院に押しかけてくることも増えたのを知っている。一種近寄りがたい雰囲気を持つアキラとは違ってそういった壁を感じさせないヒカルは雑誌などで興味を持った女性に強引に迫られていたりもして、困っているという。 それなのに住む所までこんな無防備では押しかけてくださいといわんばかりではないか。 いい加減その辺をちゃんと考えたほうがいいんじゃないかと思いながら小さな明かりしかないロビーを横切り狭い階段に足を踏み入れる。ゆっくりと階段をあがってヒカルの部屋の前に立つとアキラは深呼吸を一つして呼び鈴を鳴らした。少し待ったが反応がないのでもう一度呼び鈴を鳴らす。 数分待ってみたがやはり反応はなくアキラは仕方なくだいぶ前にもらったきり一度も使ったことのない合鍵をポケットから取り出した。 新品同様に銀色に輝く鍵を差込み鍵を回す。 開いたドアから体を滑り込ませると素早く鍵をかけ、明かりのおちきった、でも見えなくても置いてあるものの場所がわかるくらいに慣れきった廊下を歩いて寝室に向かった。 躊躇いもなく開けた寝室のドアの向こうも明かりは完全におちきっていて穏やかな寝息だけが聞こえてくる。 予想したとおりベッドに付けられているヘッドライトさえ点いていなくてどう見ても待っている間に疲れて寝てしまったというふうではない。 あまりのことにアキラの疲れきった足から力が抜けた。 その場にぺたりと座り込み落胆の溜息を吐く。 ほんの少しだけでも顔を見て話をすれば、屈託のない笑顔が見れれば、このところのハードなスケジュールからくる疲れなんてあっという間にどこかへ行ってしまうと思っていたのに。 ヒカルもきっと同じなんじゃないかと、今までもそういうことは重なることが多かったから今日もそうだろうと思ってメールまで打ったアキラの落胆はその大きさの反動からすぐさま怒りに変わった。 茫然と下を見ていた視線をヒカルに向け、ゆらりと立ちあがる。 表情はいたって静かなのに身体中から怒りのオーラを立ち上らせるその姿はヒカルが起きていたならば即座に謝るか逃げ出すほど凄まじいものだった。 眠っていたのはある意味幸いだったのかも知れない。 立ち上がったアキラはゆっくりとベッドに歩み寄っていき、そのまま跨ぐようにしてヒカルの上に馬乗りになる。 気持ち良さそうに眠るヒカルの顔を睨み付けると襟元を掴んで揺さ振りだした。全く手加減なしの力で――― 「起きろ、進藤!」 荒っぽく揺さぶりながらも時間を考えて声だけは控えめにする。 アキラの動きに合わせてガクガクと頭が揺さぶられるがすっかり夢の世界にいってしまっているのか微かな反応すらない。揺さぶられるまま目も覚まさないヒカルにイライラが増していく。 もう一頻揺さぶって手の動きを一旦止めて様子を見るが、やはり起きる気配はない。 これだけ揺さぶってもダメならと上掛けを剥ぎ脇腹・脇の下と擽ってみる。 擽ったさからか身動ぎはするもののそれでもまだ目を覚ます様子がない。 あまりのしぶとさにアキラはどうやって起こしてやろうかと考える。 もう一度揺さ振ってみようか鼻でも摘んでやろうかと考えかけたところで 「お……もい」 と手の向こうから苦しそうなヒカルの声が聞こえた。 えっと驚いて触れていた手を離すと同時にヒカルが薄く目を開ける。 視線の定まっていないようなどこかぼんやりした目だったがどうにかアキラの姿だけはわかったみたいだ。いまだ夢現つといった感じの目をそれでもしっかりと向けている。 「――とう………や?」 視線と同じようにぼんやりした声だったが名前を呼ばれて、少しだけ安堵する。 「目が覚めたか?」 それでもイライラは収まりきらなくて刺すような視線と同じくらいに冷たい声音で答えたものの半分以上眠りに残ったままの意識ではいつもの半分以下しか働かなくて言葉の意味くらいしか届かないようで表情には何の変化がない。無理矢理起こされた感のあるヒカルの頭のなかにあるのはとにかく少しでも多く眠りたいという原始的な欲求だけでその口から出てきたのは薄らぼんやりとした 「俺、今日もうダメ。頼むから寝かせて」 という途切れ途切れの言葉だった。 それだけで寝てしまいそうなヒカルをひきとめようとアキラは疑問を口にする。 「メールを送ったんだから君は僕が来ることを知っていたんだろう?」 「ああ………でも俺、今日はもうタイトル戦予選の最終だったから疲れてるんだよ〜。だからごめん―――寝させて」 アキラに上に乗られた状態で寝返りをうちながら答えてそのまま目蓋を閉じ、こてんと眠りに堕ちてしまったヒカルをアキラは呆気にとられて見る。 その後はどんなに揺さ振っても声を掛けても体重をかけても、果ては鼻を摘んでみても(口を同時に塞ぐのは怖くてさすがに出来なかった)一向に起きることはなくてアキラも疲れきって諦めざるをえなかった。 仕方なくベッドの横に座り込みヒカルの寝顔を眺める。 幸せそうな顔で安眠を貪る姿はまるで子供のようで出会った頃の無邪気な姿を思い出させ、その姿の上には大人に近づき落ち着きをもった今の姿が重なった。 そこからどれだけの時間が経ったのか。 僅かのようであり長い時間のようでもある。 近づいてはぶつかりぶつかっては離れやがては一つに重なり合うことを知った、二人で築いてきた時間を思う。 ヒカルの寝顔を見ながら今までに起こったいろいろを思い出していた。 カーテンから漏れかかる朝の光に目覚ましより早くヒカルが気持ち良さそうに目を覚ます。 疲れきっていたぶん深く眠れたみたいでいつになくすっきりとした気持ちのいい目覚めだった。 ベッドの上に上体を起こし目一杯伸びをする。 さて、顔でも洗うかとベッドを降りようとしたところで部屋の真ん中できっちりと正座しているアキラと目が合った。 な!?……何でアキラがここにいんの?まさか夢じゃなかった? アキラと何か話した記憶が薄らと残っていたが、夢でも見ていたんだろうと思っていたヒカルはとびあがるほど驚いた。 目は赤く充血して疲れきったふうなのに背筋はぴんと伸びて一切の乱れを感じさせない姿は鬼気迫るような厳しさがあった。 「あ……………おは」 「目が覚めたか?よく眠れたみたいだな」 いいかけの挨拶を遮ってアキラが口を開く。 その声は擦れて疲れきって、どこか安心した色を含んでいた。 「あ、うん。お陰さまで――」 適切な言葉かわからないながら何とか普通に聞こえるように返事をする。 その言葉にふっと息をつき表情を緩める。 「君、昨日は勝ったんだね、おめでとう。次はタイトル戦に挑戦だね」 「ああ、ありがとな。…ってなんでオマエ知ってんだ?」 「昨日、君が寝ぼけながら予選最終戦だったって言ってただろう?君が負けたのならそんな幸せそうになんて寝られないって知っているからね」 「あれ?そうだっけか?そういやそんなこといった気も………」 首をかしげながら答えるヒカルの様子にくすりと笑みを零しゆっくりと立ち上がる。 怠そうに立ち上がりふらふらと近付いてくる様子にヒカルはもしかしてと思う。 「オマエ……全然寝てないのか?」 見ただけでわかりそうなことを思わずといったふうに問い掛けた。 「ああ。少しでも君と話をしてからと思っていたから――――」 「そんなことしてたらおまえの身体がもたねえじゃんか。どうせ広いベッドなんだから隣で寝てりゃ良かったのに」 「そんなことして目が覚めた時に君がいなかったりしたら悔しいじゃないか」 無防備の言葉が嬉しくてあっという間にスタンバイ状態になったヒカルとは反対に、話ができた満足感からアキラの瞳はぼんやりとしてくる。 ふらふらとした足取りでヒカルに近付いたかと思うと横をするりと通り過ぎてスーツのままベッドに倒れこむ。 「着替えねえとスーツが皺になるぞ。」 ヒカルが心配して言うのに反応すら返さずアキラはあっという間に深い眠りに堕ちていた。 アキラが目を覚ましてスーツのままなのに気が付いたら自分の姿に激しい自己嫌悪を感じるんだろうなーと思う。それはちょっと見たくないし(見れないだろうけど)、スーツのままなんて寝苦しい格好のままにさせておくのも嫌でヒカルは仕方なく熟睡モードに入ってしまったアキラを着替えさせることにした。 脱力しきった人の身体は想像以上に重く着替えさせるのにかなりの労力と時間をを費やさなければならない。 しかも、眠っているせいであがっている体温とくたりとした様子は事後の疲れきった姿を思い出させて、それだけで兆し始めてしまったヒカルにとっては二重の苦行だった。 だってさ、疲れきって寝てるヤツに無理矢理ってひどくねえ?しかも話がしたいからって俺が起きるのを待ってたんだぜ。これでヤっちまったら俺ってとんでもねえヤツじゃん。 「一人で気持ちよさそうに寝んなよな。煽るだけ煽りやがって、このバカ―――」 ダメだと思っていても堪えるのはやっぱり苦しくて目の前で無防備に寝るアキラに恨み言のひとつも言いたくなるのは仕方のないことだ。 しかし、そう言いながらもヒカルの表情は優しくてそばで見ている人がいたら殴りたくなるほど恥ずかしい。 その恥ずかしいヤツはアキラの額に擦るだけのキスをひとつ落として壁にかけられた時計を見た。 それは規則正しい生活をするためには時計は不可欠だというアキラのために時間に追われるみたいでイヤだというヒカルが渋々ながら買って来たものだ。 ずっと携帯のめざまし機能で大丈夫だったし、目覚ましなんてなくたって起きられるから買わないでいたが、アキラがこの部屋に泊まることが多くなって、無いとどうにも落ち着かないというアキラの言を受け入れたのだ。 「うわっ!やっべー、朝飯作ってる暇ねえじゃん」 しゃーねえ、どっかで食ってくか。 待ち合わせの時間はもうすぐだ。 アキラを一人で置いて行くことに多少の不安はあったが約束を破るわけにはいかない。 名残惜しげにベッドから離れクローゼットから適当なスーツを取り出すと、ヒカルは大急ぎで着替えを済ませた。 とにかく早く帰ってきて少しでも塔矢と一緒にいる時間を増やそうと決め、『頑張って早く帰ってくるから待ってて』とお世辞にもきれいといえない字で書いたメモを残して待ち合わせの場所に向かう。 外はこれ以上の上天気はないだろうというくらいに晴れていてこんな日に二人でいられないことに多少の不満を感じたが、自分で決めたことだからと諦める。 とにかく少しでも早く帰ってきてアキラの存在を確かめたい、ただそれだけを考えてヒカルは足早に歩き始めた。 帰ってくればアキラが待っていてくれるだろう。 久し振りに『お帰り』の言葉を聞くことが出来る。 それを思うだけでヒカルの顔には幸せな笑みが浮かべられた。 5月5日 じゃっきー様 |
| このお話はヒカアキサイト『月陰』のじゃっきー様からいただきました。 アキラさん視点からスタートしたこのお話ですが、なかなかすんなりとアキラさんを離そうとしない『お前はオレより下だ!』の やっぱりオマエかっ?!緒方精次!「邪魔すんなよう・・・。」とはらはらして読んでいました。 でもそこは、兄弟子でもある芦原さんの采配で「やっと進藤に逢えるのね?」と思ってたら「進藤ー!寝とんのかいーっ?!」 脱力・・・・・・。 翌朝、進藤と入れ替わりにぐったりと寝入ってしまったアキラさんから二重の苦行を強いられるというお仕置き(?)を受けた ヒカルにはちょっと「かわいそうかな?」なんて思ったり・・・・。 最後まではらはらして読みましたが、ラストで今夜はラブラブであろう二人が容易に想像できて安心&妄想させていただきました。 (え〜とこの後Hシーンに続くそうです♪書き上がったら頂けるそうなので、小躍りしてお待ち申し上げております〜。でもじゃっきーさん あんまりムリしないでね☆当サイト初!の『裏行き』かっ?! いつもいつもお世話になっている上、『サイト開設お祝いに』と、こんな素敵なお話まで頂いてしまって私は感謝の気持ちで一杯 です。本当にありがとうございました☆ |
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