別れ・14


「塔矢君、ちょっと」

「はい、なんでしょうか?」


3月に棋聖となった塔矢に棋院事務局職員が声を掛けた。
外は4月。
もうすでに市ヶ谷の桜は散り始め、葉桜となりつつある頃だった。


「来月開かれる世界アマチュア囲碁選手権だけど、若手招待委員として塔矢君が選ばれてたよね?」

「はい」

「今や棋聖となった塔矢君に委員として参加してもらえるとアマチュアの人たちの士気もさぞかし上がる事と思うよ」

「ええ・・・・・もう随分前ですが、ボクも一回会場にお邪魔したことがありました。」


丁度ネット上でsaiと言う謎の棋士が話題を呼んでいて、実際アキラが対局を申し込み対戦した頃だ。
プロ試験第一戦を蹴ってまで挑んだ対局だったが、今となってはそれも懐かしい思い出だった。


「あともう一人、小林十段が委員だったんだけどねキミも知っての通り、今小林さんは先日から体調を崩して入院中だ」

「だそうですね」

「なので急な変更になったんだけど、ピンチヒッターに進藤君が決まったんだよ。それを知らせようと思ってね」

「進藤・・・・ですか?」


アキラは眉をひそめた。


「うん、進藤君なら君と同い年だし彼も順調に段位も上がってるし、上り調子の二人が参加してくれると棋院としても有難いんだが・・・・どうだろうか?何か問題があるようならまた検討しなくちゃなんだけど、この時期になって依頼して回るのは正直言って辛いものがあるんだよね。それと前夜祭で模範対局、ということで君たちふたり対局してもらうことになるんだけどそれも構わないだろうか?」」

「はい、わかりました」

「良かった、今や棋聖となった塔矢君に参加してもらうだけでもえらいこっちゃ!なのに委員変更でしょ?ポスターやチラシ類はもう変更なんか出来ないしで頭が痛かったんだよ。じゃ、当日はよろしくお願いしますね、塔矢く・・・塔矢棋聖」


そう言うと慌しく事務員は去っていった。


「進藤か。参ったな・・・・・・」


表面上は笑顔で答えた塔矢だったが、心情は複雑だった。
ポーカーフェイスはお手の物な塔矢も、久しぶりに会う彼を前にして平気な顔をしていられる自信は流石に無かった。


そして5月・・・・・
前夜祭が行われるホテルに塔矢がチェックインした頃、時刻はすでに夕方近くになっていた。


「今日、こちらに宿泊します塔矢と申しますが、チェックインをお願いしたいんですが」

「塔矢様ですね?740号室で進藤様と同室になっております」

「えっっ?!」

「何か不都合でも」

「い、いや・・・・出来れば他の部屋を個人でお借りしたいと思うんですが」


と塔矢が告げるとホテルマンは慌てて受付の女性に何事かを呟く。
そして女性が奥へ引っ込んだかと思うと、すぐに年配の支配人らしき人が出てきて塔矢に向かってにこやかな笑顔を見せた。

「塔矢様、そのお部屋ですが当ホテルとしましては特別仕様の作りになっております。
おふたり同室と申し上げましてもかなりゆとりのある上ランクのお部屋をご用意させていただきました。
そして大会に参加なさる他国からのお客様や関係者の方々多くいらしていますので生憎空き室がないのが現状でございます。
申し訳ございませんがその様な訳ですのでどうかそのお部屋をご利用していただけるようよろしくお願い致します」


深々と頭を下げられてしまってはアキラとしてもこれ以上「ホテルを変えます」とまでは言い辛かった。


「我がまま申しました。では部屋に上がりますのでキーを」

「先ほど進藤様がいらしてすでにお部屋の方に入られていますので、お部屋のベルを鳴らして入っていただけますか?」


ここからきびすを返して帰りたかった。
暗雲たる思いでエレベーターに乗り込む。


(この扉の向こうに進藤が)

碁盤を挟まずまともに顔を合わせるのは1年ぶりだろうか?
いや、それ以上だ、と塔矢は別れてからの月日を数える。
暫らく部屋の扉に佇みあれこれと頭の中に想いを巡らすが、やがて決心したように震える指で進藤のいる部屋のベルを鳴らした。



                                                   2005年10月22日

 

小説に戻る