別れ・21(進藤side)


来週から本因坊戦が始まる。
相手は桑原本因坊、そして王座。


日が近づくにつれて自分でも気分が高揚してくるのを感じる。
何しろ初めて参戦したリーグ戦でいきなり挑戦権を獲得したんだ。
舞い上がるな、というほうがムリってもんだろう。
予選リーグで塔矢に勝った時のインタビューで「プレッシャーは?」
と聞かれたが、「負の意味でのプレッシャーなら無い」と答えた。
挑戦者としての今の自分には失うものなど何も無い訳だし、ただひたすら向かって行けばいいだけだ。
とすれば「精神的重圧感」も気持ちを奮い起こす為のいいきっかけに過ぎなかった。

「プレッシャーなんてそんなもん、オレにしたらただの踏み台だ。自分に出来ることをやればいい・・・・よな?塔矢」

誰も居ない空間に向かって一人呟く。


 『 キミの打つ碁がキミの全てだ・・・ 』


「はは・・・懐かしい言葉を思い出しちまったな・・・」


この言葉を発した時のアイツの静かな・・・そして優しい顔。
今もハッキリと思い出せる。
凄く嬉しかったし、正直ゾクゾクした。
「アイツがオレにまた一歩、歩み寄ってきた」
そう実感した時だった。


「あれから何て遠くまで来ちまったんだろうな・・・・オレたち」


そんなアイツを倒して得た、この挑戦権。
決してムダにはしない!
アイツに報いる為にも情けない碁だけは打つもんか。


「見ててくれよ、塔矢」




さあ寝ようと思った時携帯が鳴った。
着信は見覚えの無いナンバー


「誰だ?まさか塔矢?・・・・のはずはないよな」


いつもだったら相手のわからない電話に出ることなんて無かったんだけど、その日はつい携帯を手に取ってボタンを押していた。


「はい、もしもし」

「ああ、進藤か?」

「なぁ〜んだ、誰かと思ったら緒方さんかぁ!」

「何だとは何だ!失礼な奴だな。名人に向かっていい度胸してるじゃないか」

「あはは。けどなんで緒方さん、オレの番号知ってんの?」

「ふふふ、オレ様に知らないことなぞない」

「ああ、芦原さんにでも聞いたんだ」

「まあ、そんなとこだ」

「んで、何すか?こんな時間に?もう善良な市民は寝ている時間ですよ?」

「悪かったな、善良な市民でなくて。そう言うオマエだって起きていたんだろ?」

「はあ・・・オレはあいにく善良からは程遠い人間ですから」

「そんなことは知ってる。それで明日なんだが夜は空いているのか?」

「あ、はい。全くヒマだけど」

「ならオレと付き合え」

「は?またいつもイキナリなんだからぁ、緒方さんはー」

「明日5時、棋院の前に車をつけておく。いいな」

「ふぅ・・・・わかりましたよ。んじゃあまずは「おともだちから」ってことでひとつ!」

「その「付き合う」じゃない!」

「あはは!」


電話を切ってから考える。

何だろう?こんな時期に。
緒方さんは桑原さんに前回本因坊を奪取されている、そこら辺で何かオレにレクチャーでもしてくれるとか?


「まさかね。さ、寝よ寝よ」


オレは心地よい高揚感に包まれて眠りについた。


そして翌日。

オレはやけに格式の高そうな料亭にいた。
緒方さんは女将さんとも親しげに会話してるから、きっと行きつけの店なんだろう。
・・・っつかこんな店を行きつけに出来るなんざ、さすが名人といったところか?
オレなんかにゃまだまだ敷居が高くて、当分こんなところとは縁がなさそうだ。


「きょろきょろするな、進藤」

「うあっ、や、何か慣れないもんでこーうゆとこって。オレどっちかっつぅと苦手」

「うっかりまかり間違って本因坊にでもなった時の為に、こういう場所にも慣れておかないとダメだぞ、進藤」

「ぐっ・・・・何すか?その「まかり間違って」とか「うっかり」とか!全く相変わらず口が悪いよなぁー緒方さんはぁ」

「言葉遣いのなってない進藤ごときに言われたくないセリフだな。一体誰に向かってそんな口をきいている?」

「緒方名人」

「分かってるならいい」

「いいんだ?!」


そんなバカなやり取りをしている間に、酒と共に前菜と称した見るからに美味そうな品々がどんどん運びこまれてきた。


「進藤は日本酒はいけるクチか?」

「あ、すんません、オレ酒やめたんで・・・」

「名人からの酒が飲めんとな?」

「あ、いや!マジでオレ酒、やめたんですよ」

「フン、つまらない奴だな」


あれ?いやに簡単に引き下がったな、緒方さん。
今日は無理やり飲まされるかと覚悟して来たのに。
全ての元凶はあの自分の深酒が原因だったから、だからあれからオレはどれだけ強引に勧められても一切、酒は断り倒していた。


「おい、いやに暗いな進藤。本因坊戦を来週に控えてすでに気分は負けムードか?」

「ひどいなあ緒方さん。オレは勝ちますよ、だって・・勝たなくちゃ・・・」

「アキラくんの為にも、か?」

「え?」

「塔矢棋聖を倒しての挑戦権だ、おいそれと負けるわけにはいかないよなあ進藤八段?」

「それもあるけど、やっぱ自分の為にも絶対勝ちたい、オレ」

「アキラくんと言えば一時、見ていられない程体調を崩した時があったな」

「ああ・・・はい」


いきなり何を言い出すんだ?緒方さんは。


「あれは丁度・・・・そうだ。進藤の結婚が決まった頃だったと記憶しているが。違うか?」

「そうでしたか?オレもうそんな前のこと覚えてないです」

「あの頃から急にお前らはよそよそしくなった。それまではいつも二人ちょろちょろと仲良くつるんでたクセに。
なあ?」


そう言いながら意味ありげな目つきでこちらをじっと見つめてくる。


「う・・・緒方さん?」


何が言いたい?
コップを持つオレの手が小刻みに震える。


「まあ、みなまで敢えては言わないが・・・・あの時オレは、よほど貴様を呼びつけて殴ってやろうかと考えていた」


返す言葉が無い。
この人はみんな知っているんだ。
知ってて黙って・・・今まで・・・・。


「小さい頃から弟の様に可愛がってきたアキラくんだ。それをお前ごときにあっさりと持ってかれて、どれだけ腹が立ったかわかるか?進藤。それだけならまだしも、挙句の果てお前は別の女と結婚なんぞしやがって。許せんな」

「すみません」

「オレに謝ってどうする。すまないと思うのなら来週から始まる本因坊戦。何が何でも勝て!」

「はい!」

「そして次はお前からその座をオレが奪い取ってやるからな。覚悟して待ってろよ、進藤」

「緒方さん・・・・」

「そして桑原のジジイから王座も頂いて、名人と合わせてオレは三冠だ」

「くくっ・・・・凄い野望だなあ」

「何がおかしい?進藤。オレは本気だぞ?」

「オレ、塔矢に奪われるんなら本望だけど、緒方さんに取られるのだけはヤだな」

「イイ根性してるな、進藤。その言葉、しかと覚えておくからな!」



初めて目にするような食材で彩られた前菜から始まって、お吸い物。
お造り、煮物、焼き物・・・・
それらを緒方さんの言葉と共に噛み締めるようにオレは口に運んだ。
美味しいものを美味しいと感じられる幸せ。
ヤケになってる時は何を食べても美味しく感じられなかった。
塔矢も今は、美味しく食事を取れてるか?


「おい進藤。桑原のじいさんの盤外戦には気をつけろ」

「は?」

「奴は些細な言葉を使って相手に動揺を与えるのが得意だ」

「緒方さん、ソレやられたんだ」

「なっ!・・・う・・敢えて否定はしないが」

「緒方さん。それってもしかしてオレと塔矢の事、桑原さんも知ってるってこと?」

「ああ、オレが気がついたくらいだ。あのクソジジイにはお見通しだったろう、お前らのことなんざ。
あのジイさんはやけにお前らのことだけは前から気にしていたからな」

「そうなんだ・・・・そんなにオレたちってバレバレだった?」

「いや、そうでもないぞ。あと気がついていたのは塔矢元名人くらいなもんだろ」

「ええーーーーっっ!」


オレは思わず持ってた箸を落とした。
う、うそだろ?
だって、一緒に暮らし始めてからも何度か塔矢んちに遊びに行ったことがあったけど・・・・けど、そんな素振りひとつだって見せなかったじゃないか?


「遠まわしにアキラくんとお前のことを聞かれた事があった。それでああ、気がついているんだな・・・と思ったよ」

「何てことだよぉ・・・・・オレ達必死で隠してたつもりだったのに」

「大人をなめるなよ」

「オレだってもう大人なんすけど」

「はっ!まだまだ半人前のひよっこだよ、お前らは!」


参った・・・・降参だよ、緒方さん。


「アキラくんは昔からお前しか見てなかった。まあ、それは皆が知ってることだろうが。だがそれはあくまでもライバルとしての意識の仕方だった。だけどな、それがある日から急に変わったんだよ」

「え?変わったって?」

「人は恋をすると美しくなると言うが、アキラくんも例外じゃなかった、ってことさ」


そこまで言うと緒方さんは水割りを一気にあおった。


「まるで花のつぼみが綻んで行くようだったな、あの頃のアキラくんは。それまで碁一筋だったのが、周りにまで目が行くようになったと言うか、芦原がよく最近アキラくんが自分に優しい、と感激していたな。幸せのおすそ分けって奴か。まあ、鈍い芦原にはアキラくんがなんでそこまで変わったのかなんて気がつかなかったみたいだが」

「そっか・・・・・・アイツの事をそうやって聞かされるのってなんか嬉しい。うん・・・。そうだったんだ、アイツ。今頃聞いても遅いのかもだけど、だけど凄く嬉しい」

オレは手元のコップをぎゅっと握り締めた。
塔矢のオヤジさんにしても、緒方さんにしても、芦原さんにしても・・・・。こんないい人たちに囲まれていたんだ、塔矢は。
それなのにオレはそんな塔矢をどん底に突き落とすような事をしでかしてしまった。


「進藤」

「はい」

「お前がこれからどうするのか、なんてオレには全く興味は無い。だがな、アキラくんを不幸にするようなマネだけはするな!アキラくんがまた、あの時のようなことになったら・・・・その時は容赦はしないからな、進藤。よく覚えとけ」

「ありがとうございます」


オレは深々と頭を下げ、心から緒方さんにお礼を言った。


「オレは今だって本当は貴様を殴りたくってウズウズしているんだからな。」

「うえっ、カンベンして下さいよー緒方さん」

「ああ、氷が無くなったな。おい進藤。氷を貰って来い!」

「ハイハイ、わかりましたよ、すぐ貰って来ますから」


それから調子に乗った緒方さんはお酒を浴びるように飲みまくり・・・・帰りはオレが緒方さんの家まで運転して送るハメになった・・・・・









本因坊決定戦七番勝負第1局が太宰府天満宮で二日間に渡って行なわれる。

現在、本因坊・王座合わせて二冠を持つ桑原さんにオレは立ち向かっていく。
対局の模様は日本棋院ネット対局「幽玄の間」でネット中継されるし、TV局からも生中継されるからアイツもきっと観ていてくれるくれるはずだ。
ふがいない碁だけは打ちたくない。

5月9日午前9時。

これから約2ヶ月間に渡って繰り広げられる戦いの火蓋が今、切って落とされた。

2005年11月29日

 

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