別れ・22(塔矢side)


「はい、もしもし・・・・?」

「塔矢?・・・・・・・・・オレ・・・・・・」

「進藤?」





深夜、僕の携帯が鳴った・・・・・
着信画面なんて見なくたってわかる。
明るい着メロが彼からの電話だと告げていたから。

この着メロを聞くのは何年ぶり?

あれこれと思いが交錯して、携帯を手にするまでしばらく時間がかかった。
そろそろと携帯を手に取り画面を開く。
着信画面には『進藤』の文字。

その文字を見るだけで切なさが込み上げ胸が震える。



「ごめん、こんな時間に・・・・寝てた?」

「いやまだ、そろそろ寝ようかと思っていたところだ。どうした?」

「うん・・・・・・」


暫らく沈黙が続いた。


5月に始まった本因坊戦も、もう最終局を明後日に控えていた。
第一局は桑原本因坊が進藤に辛くも半目勝ちし、まずは防衛成功からスタートを切った。
七番勝負という、いわゆる長期にわたる戦いでは当然体力が要求される。
その点で言えば今まさに上り調子な進藤の方に分があるのは確かであったが、知力・忍耐力の面から言えばダテに経歴を重ねているわけではない桑原本因坊の方に軍配が上がってもおかしくはなかった。
しかし囲碁関係者の中では、桑原本因坊が高齢な事を考えてこの本因坊戦の防衛は失敗すれば桑原にとって事実上最後のものになるのではないかと憶測する者も少なくはなかった。
確かにここまで高齢の棋士が一旦タイトルを手放しながらまたもぎ取りその座に着く、ということは過去の長い囲碁界の歴史においても例の無いことだったからだ。
もし進藤が本因坊のタイトルを手にすれば、事実上「史上最年少本因坊」ということになる。

対戦戦績は三勝三敗。
つまり運命の結果は全て第7局にかかっていた。

「本因坊」
進藤が昔からなかり気にしていたタイトルだ。
正確に言えばタイトルの方でなく『本因坊』しかも『秀策』
彼のこれに対する執着は尋常ならざるものがあった。
薄々この辺りが進藤の言った「いつか話す」に大きく関わっているんだろう、と僕は考えている。



「進藤?どうかした?」

「うん・・・・・・なんかさ神経昂っちゃって。こんなの、今までなかったんだけど。
ここにきて急になんか・・・・次で決まっちゃうんだ、って思ったら色々考えちゃって・・・そんでお前の声が聞きたくなって・・・・・それで・・・・ごめんアキラ・・・」


最後の方は消え入るような声だった。


アキラ
その呼び声にゾクリと背筋に震えが走る。
身体と心に蘇るあの晩のこと。
多分今、彼はそれを意識して言っているのではない。無意識だろう。
今でもそう呼んでくれる彼が凄く愛しい。
ここで自分が「ヒカル」と応えればたちまち彼の意識もあの晩に飛んでしまうんだろうけど・・・・・。


「進藤?とうとう明後日だね・・・・あ、もう日が変わったから明日か」

「うん・・・・」

「僕は正直ここまでもつれ込むとは思ってなかったよ。どちらかが勢いに乗って一方的に勝負がつくのかと思っていたんだ。だけど・・・」

「だけど?」

「ここまでの6戦のどれもがとてもいい内容だった。正直あんな戦いをやってるキミたちが羨ましかった位だよ」

「うん、そうなんだ。オレも打ち終えて勝っても負けてもなんか、こう・・・すっげえ満たされてて・・・・・そんでああオレはこんな凄い人から本因坊の座を奪い取ろうとしてるんだ、って思ったら急にたまらなくなっちゃってさ。オレなんかがいいのかよって思えてきちゃったんだよ」

「進藤、キミらしくもない。それにそんなヌルイ気持ちで戦いに望んだらそれは桑原先生に対しても失礼だろう?そうじゃないか?進藤」

「うん」

「そんな優しいところもキミの良さなんだろうけど、でも今は勝負の時だ。気持ちはキッチリと切り替えろよ」

「ありがとう・・・・・・・塔矢。オレってまだまだ甘ちゃんだな。情けないとこ見せちまってごめん。」


そんなところも含めて僕はキミが好きだよ・・・・と思う。


「ううん、電話くれて嬉しかった。明日から一週間僕は韓国だから見には行けないけど、祝勝会には駆けつけさせてもらうから。」

「え?オレもう勝つって決まってんの?」

「当たり前だろ?何言ってるんだ?それくらいの気構えでなくてどうする、進藤。」

「あはは。。。さすがは塔矢アキラ棋聖だなあ。あ、もうこんな時間だ。ごめん明日早いんだろ?」

「いや、午後の便だから。それに、寝る前にキミにゲキを飛ばせたんでスッキリしたよ。
今晩はいい夢が見れそうだ。」

「オレもいい夢が見れそうだ。」


ふたりしてクスクスと笑いあった。


「んじゃおやすみ・・・・・・アキラ・・・・・・・愛してる。」

「しっ・・・!」


こちらが言葉を返す前に電話は切られてしまった。


「相変わらず逃げ足の速い・・・・・・」


赤らむ頬を持て余しながら、既に切れてしまっている携帯を握り締め僕は暫らく手放すことが出来なかった。











「ああ、どうやら間に合ったみたいだな」


空港から飛ばしてきたタクシーを降り、会場へと急ぐ。


進藤はあれから見事に勝ちを納めた。


「今日からはもうぼうず、とは呼べんのう・・・・進藤本因坊。」


その桑原先生の一言で一斉に対局室内には「おめでとうございます!進藤本因坊」
の声が飛び交ったという。
普通、記者たちは遠慮して敗者が退室してから祝いの声を掛けるのが相場だが、その桑原先生の気取りのない暖かな言葉で有り得ない展開になった、と話題になった。

桑原先生は進藤には特に目を掛けていたと思う。
進藤の方も桑原先生には失礼な事に、じいちゃん呼ばわりをしてえらく懐いていたからきっと・・・・お互いの心中は複雑であっただろう。




そして今日はその祝勝会だ。


会場の中に入ると丁度進藤が壇上でインタビューを受けているところだった。
大きな花束を抱えたキミは一つ一つの質問に丁寧に噛み締めるように答えている。
進藤・・・・キミはまた一回り大きくなったみたいだな。
堂々としている中に混ざる喜びと照れが混じった表情のアンバランスさがとても魅力的で、その上質問に答える時インタビュアーの女性をジッと見つめながら話すのでインタビュアーの方が上がってしまっているみたいだった。


「全く・・・天然タラシめ」


会場隅の壁にもたれ掛かりながら呟く。
本人は無意識なんだろうが、進藤は人と話すとき相手の目をじっと見つめる。
僕はそんな彼のクセが好きだった。

インタビュアーの方が舞い上がってしまったかのような質問の時間も終わり、進藤は誰かを探すかのように会場内へときょろきょろと視線を彷徨わせる・・・・・

そして僕の視線と絡み合った。

途端に瞳が大きく見開かれ進藤は手にしていた大きな花束をインタビュアーの女性に押し付けると、
ヒラリ、と壇上から身を翻し飛び降りた。


「塔矢っ!」


何事かと会場内がざわめく。
立食スタイルの会場内、ざわめく人々をかき分け進藤がこちらに向かって走って来る。


「どうした?進っっ・・!」


最後まで言う間もなく僕の身体は進藤に抱き締められていた。


「ちょっ!し、進藤!」


慌てて彼を押し返そうとしたけどあまりに強い腕を、僕は振りほどく事は出来なかった…。
回りの人たちが遠巻きに息を呑んでいるのがわかる。


「オレ腹括るから!オマエもついて来て!」


耳元で囁かれて一瞬僕の身体が固まった。


「ど、どういうことだ、進藤!」


もがくのを諦めて震える声で小さく囁く。


「どーもこーもないさ。こーゆーこと」


と言いながら進藤は更に身体をぎゅっと抱き締めてきた。
自信有り気な言葉とは裏腹に、密着した自分の身体に進藤の鼓動と身体の震えが伝わってきて、彼の決心の強さを感じた。

この身体を抱き返せばもう後戻りすることは出来ない。
今までの平穏だった日々とも、暫らくはお別れになるんだろう・・・・・
両親の顔や周りの人たちの顔が瞬時に浮かんだ。


「平穏な日々」と「進藤」

どちらを取るのか?
そんな事はわかり切ったことだ。
これはもう自分も腹を括るしかない。


「まったくキミって奴は・・・・・」

「こんな奴だけどよろしく、アキラ」

「こちらこそ・・・だ。ヒカル」

溢れんばかりの笑顔で互いの耳元に囁き合う。
周りでカメラのフラッシュが盛んにたかれているのを感じながら僕は
彼の背にそっと腕を回し彼を抱き締めた…



それは、友人やライバルとしてではなく恋人としての抱擁だった。



2005年12月4日

 

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